| |
本来なら今日は、朝から公子とデートをするはずだった。
|
| |
でも急に、アニメ放映記念のトークイベントが入ったとかで、
デートはキャンセルとなった。
|
| |
アニメに興味のない俺には、
そのイベントのありがたみは分からない。
|
| |
というより、俺と公子のデートを返せ、と。
|
| |
イベントの主催者は、包みを持って俺に謝罪しにこい、と。
|
 |
「はあ……ダメだ、筋トレはやめよう」
|
| |
デートが中止になった挙げ句、汗だくで筋トレなんて切なすぎる。
|
| |
これもみんな、なんとかカミングとかいうアニメのせいだ。
|
| |
（中略）
|
 |
「……ねえ、まだイジケてるの？」
|
|
「別に」
|
|
「仕方ないじゃない、仕事だったんだから」
|
| |
イベントが終わったあと、公子はそのまま俺の部屋へ来てくれた。
|
| |
そして、優しく頭をなでなでしてくれている。
|
|
「あたしだって、あなたとデートしたかったのよ？」
|
|
「…………」
|
| |
調子に乗って抱きついてみると、
|
|
「もー、今日はどうしたの？ 甘えん坊になっちゃって」
|
| |
荒んだ心が、癒されていく。
|
| |
ほんと、耳元で囁かれると最高だな。声優の声って……
|
 |
「あたしがいなくて寂しかった？」
|
|
「おかげで有意義な休日を過ごさせていただきました」
|
 |
「そうですか。それはよかったでちゅね〜」
|
| |
すっかり、子供扱いだ。
|
| |
さて、冗談はこの辺にしておいて。
|
|
「家まで送るよ」
|
|
「え？ でもまだ来たばっかりだし……」
|
|
「外暗いし、お母さんも心配する」
|
|
「…………」
|
| |
公子は訝しげに辺りを見回し始める。
|
|
「何？」
|
|
「……まさか、部屋に他の女を連れこんでるんじゃないでしょうね」
|
|
「ドキッ」
|
 |
「何よ、ドキッて！ どこ？ ここの押し入れ？
それともトイレ？」
|
|
「いいから出よう。帰りが遅くなる」
|
|
「……そんなにあたしのことを追い出したいの？」
|
|
「誰もそんなこと言ってないだろ？」
|
|
「だって……さっきから、あたしを家に帰らせようとして……」
|
| |
うん、説明しなかった俺が悪いな。
|
|
「バックセットは、今日が最後のオフになると思うからさ。
ゆっくり休まないと、本番まで体力が続かない」
|
|
「一緒にいたいのは山々なんだけどな。仕事で疲れてるだろうし、
早く家に帰って、風呂にでも入った方がいい」
|
|
「光明……」
|
|
「帰ろう？」
|
| |
手を差し伸ばしたが、公子はそれを握ろうとしない。
|
| |
仕方なくこちらから手を握ると、
|
|
「やだ、帰りたくない……」
|
|
「え？」
|
| |
今度は公子の方から俺に抱きついてきた。
俺の甘え癖が、向こうに伝染ってしまったようだ。
|
|
「最後のオフってことは、
もう本番まで一緒にいられないってことでしょう？」
|
|
「一緒にはいられるよ。
ただ、恋愛より舞台の方が優先になるのは分かるよな？」
|
 |
「同じことじゃないっ。やだっ、あたし帰らないからっ」
|
| |
……参ったな。
これを説得するのは骨が折れそうだ。
|
| |
（中略） |
|
「ところで、今日のイベントってどんなことしたんだ？」
|
|
「話しても、あなたには分からないわ」
|
|
「そう言われると気になるな。秋葉原だっけ？
イベントがあったの」
|
|
「ええ。アニメのキャラと同じ制服を着て、
トークショーみたいなのをするの」
|
|
「アニメのキャラの制服？」
|
|
「コスプレよ、コスプレ。意外とそういう仕事多いのよ」
|
|
「……なんで、アニメの声優がコスプレをするんだ？」
|
|
「だから、あなたには分からないって言ったじゃない。
あたしが住んでるのは、そういう世界なの」
|
|
「前にも話した気がするけど、萌えっていうのがさ」
|
|
「こう……いまいち、しっくりこないんだよ」
|
|
「……複雑だわ。
萌えを理解してほしいような、そうでないような……」
|
|
「何か、具体的に萌えっていうのを体験できないかな？」
|
|
「そうねぇ……」
|
| |
公子は口元に手を当て、しばらく考えこむ。
|
| |
釣られて俺も考える振りをしてみたが、
あくまで他人任せだ。
|
|
「あ、そうだ！」
|
|
「何かいい案でも？」
|
|
「実は、今日のイベントで使った制服を持って帰ってきたの」
|
|
「これを見れば、あなたも萌えを理解できるかも？」
|
|
「どれどれ……」
|
| |
公子の持っていた紙袋を覗きこむと、
|
|
「……なんかもう、このバカでかいリボンみたいな
タイを見た瞬間、無理って感じた」
|
|
「バカねー。これがいいんじゃない」
|
|
「制服って、緑色なのか？」
|
|
「そうよ。私の役だけ特別なの。
他の女の子たちはピンクの制服だけど」
|
|
「ふむ、デザインはセーラ服か。これはまあいい」
|
|
「セーラー服が好きなの？」
|
|
「個人的にはかなり」
|
|
「で、どうなのよ？ 萌えた？ 萌えてきた？
萌えられそう？」
|
|
「まあ、結論から言うと」
|
| |
初々しいセーラー服のデザインで健闘はしたものの。
|
|
「無理」
|
|
「はあ……ほんと、堅物なんだから」
|
|
「大体、こんな制服だけ見て萌えろっていうのも、
相当無茶な話じゃないか？」
|
|
「公子的に、
この制服を見て萌え萌え言ってる彼氏ってどうなのよ？」
|
|
「それは……多分、無理」
|
|
「だろ？ ただの制服マニアだしさ、そんなの」
|
| |
萌えというは奥が深い。
それが分かっただけでもよしとしよう。
|
|
「なんか、すっげーどうでもいい話で時間過ぎてないか？」
|
 |
「……ねえ、セーラー服は好きなわけよね？」
|
|
「まあね」
|
|
「じゃあさ」
|
| |
公子は制服の入った紙袋を抱き、なぜか俺の前で正座をする。
|
|
|
|
「あたしが……実際にこれを着てみたらどう？」
|
